自分の生態観察記録

どうしても暇な人向け

私の生態2

こんばんは、体重の増加が止まらなくて

悩んでます、由衣子です。(* •ω• )


またもや暗い話、続きです。

けど内容的に飛ばしてもいいです。

さらにさらに、読みたい人向け。



新しいお父さんはその当時

名前を検索しては出てくる人で

ファッション系の社長をしてました。

神経質で頭の固い人だったと、ママはその人の事をあまり話そうとはしません。


その時のことは私もあまり良くはなかったな。って感じで。

リモコンの位置、歯磨き粉は最後まで出し切る(短く切って歯ブラシでこそぐ)、玩具は3つまでそれ以上は片付ける(音も慎重に)、塵一つ残さない掃除(毎日フローリングを磨いてたママ)、金曜日は早く帰って掃除機をあてること、風呂掃除、寝相。後は、お風呂。


まだ赤子だった弟は身体も弱く、神経質で

ちょっと置いたら、物音がしたらギャン泣きしてて

トイレもろくにいけないほどでした。

ママは弟を胡座の間に乗せながら揺らして

チョコパイを頬張りながらよく夜中にゲームをしてました。

何かに気をやってないとストレスが凄かったそうです。

私がミルクを飲んだら夜まで寝て夜泣きしないだとか

楽な赤ちゃんだったから余計にしんどかったみたいで

隈が酷く、ストレスで今よりも太ってました。

そんな中でもご飯は必ずおかず3品以上、塵一つない掃除、ビールのストックは絶対で、ママもだいぶその頃から病んでいました。


私はその時、お父さんと別部屋の寝室で寝ていて

ママと弟がリビングに布団を敷いて寝てました

(夜泣きで起こされるのが嫌だったかららしい)

お父さんと同じ布団で寝ることは、私はめっちゃ嫌いでした。それは寝相。私の寝相が悪くて、足や手が当たり起こしてしまうと、怒られたからです。

当時、何か粗相をするとパンツを下げられ尻を叩かれて(赤く腫れて痛いほど)いて、寝ていても起こされてそうやって怒られました。

離れて寝たらいいのに、子供ながらそう思っていたし私の泣き声やお父さんの怒鳴り声に見に来たママもそう言いました。

けど親子の触れ合いだとかいって絶対隣で寝るように言われて物凄く神経を尖らせて寝ないといけなかったのが最初のしんどさでした。


ここからちょっと胸糞かもなんで

閲覧注意というか、気持ち悪かったら飛ばして欲しいんですけど。



その時は何とも思ってなかったけれど

髭のジョリジョリの部分で頬ずりされて(皮膚が弱かったからめっちゃ後で荒れた)口にキスをしたりだとか吸われたりだとかがあって。

ビールの匂いが口の周りや中に残りました。

その人、やたらと尻が好き?で

よく私を膝の上に乗せてはパンツの中に手を入れて揉んだり掴んだり(痛かった)して、痛さに私が嫌がって泣いたら怒られたりもしました。(理不尽)

そして、お風呂は早く帰宅したら一緒に入ってて

全身泡まみれの状態にして立ち上がり抱っこされ

身体を滑らして遊ぶ?みたいな、スポンジを使わず身体で洗うみたいな。悪くいえばソープ嬢みたいな。

そんなことをしたママに話すとママは嫌な顔をしていたけれど、当時小学校低学年で中身はもっと幼かった私はそれがどう良くないのか、全然わからなくて。

お父さんのいうスキンシップをするのが当たり前なのだと受け入れてました。




かと思えば

些細なことで怒鳴られ、尻を叩かれる。

夏休みの自由研究を忘れた時は甚平の肩のところが引きちぎれるほど引きずられて、胸ぐらも掴まれたけど、何より私は尻を叩かれるのが嫌でした。

3回叩くか、1度に痛く叩くか問われたこともあって

どちらにしろ痛いことは変わりないけど

1度を選ぶと青あざになってたらしい。


でもそれを知ってたのは、ママの妹だけでした。

年に2回従兄弟が実家に来るのを私はすごく楽しみにしていて、お盆の時にきたママの妹であるかおちゃんが私と従兄弟を連れてプールに行きたいと言ってくれて。嬉しくて行きたがった私にママは反対して怒ってて。

かおちゃんも??ってなりながらどうしてか聞くと

「旦那が怒るから」と。

流石に意味がわからなかったらしく、軽く討論の末かおちゃんは「私が勝手に連れてったでええが。文句あるなら私に言い」と「あと、おねぇおかしいで?」と言っていたのを覚えています。


もうその頃からママはやたら私に厳しかったそうで

あーちゃんもばぁちゃんも私が遊びに来る度にずっと心配してたんだと後で知りました。 



金曜日は絶対に早く帰って掃除機をあてなくてはいけなくて(ママの助けになりたくてやると決めたこと)、でも学校に鍵を忘れたり持っていくのを忘れたりして出来なかった時は物凄く怒られました。

叩かれて投げ飛ばされるのは昔からだったけど

階段から落とされたり掃除機で殴られたり、あとはおしゃぶりが見つからない時がほんとに地獄で鬼のように弟が泣くから余計にね。

風呂上がり裸のままで外に探しに行くように言われた時もあったかな。(さすがに服は着たいとお願いしたけども)

けれどお父さんが出張の時は弟を実家に預けて、ご飯を食べにいったりカラオケにいったりだとか、楽しく過ごせたけれど、やっぱり普段は怒鳴られる事が多かったです。

私がちゃんと出来なかったのが悪かったけど、度重なるストレスでママも少しずつ限界がきていたんだろうな。


あんまり覚えてないけど

誰もいない時を見計らってばぁちゃんに泣きながら電話をしていたみたいで。

ただ「ばぁちゃんに早くあいたい」とか「寂しい」とか言ってはあーちゃんが迎えにきたらしい。

土日に実家にお泊まりは何度かあったな、そういえば、くらいの感じだけど。


けどそしたらね

ママがやっぱり怒られて責められたんやろね。

限界がきたみたいで。

そんな事が続いた後にふと、お父さんは帰らなくなって、いつの間にかママには新しい男の人がいた‪w

でも離婚で揉めてたらしくストレスが爆発して

ママは頭が一瞬飛んじゃいました。

ぼーっとしてたり笑ってたり、心配してお水をあげたらそれを廊下に撒き散らしたり(ワックス掛けめっちゃ必死にママがしてたから焦った。)紙を破きまくったり。

新しい男の人にはもうあった事があったから、

私はその人に連絡して、しばらく外に連れてかれて夜遅くまで待ってました。弟はその時は実家で、私はコンビニのおにぎり食べて風呂はいって寝ました。

その後に正式に離婚が決まったけど。

最後に、とお父さんと旅行にいった事とお父さんでいたかった愛してたと泣かれた事を覚えてます。

何だか子供ながらに可哀想になって、ママにやり直せないのか、もしくは私がここに残ろうか、と聞いたけどママに泣かれ、新しい人も絶対今より幸せにするからだとか言われ、何となくその方が良いのだと思いお父さんとはバイバイしました。

今にして思えばそれで良かった。ほんとに。

どうなってたか。いや良かった。

けど、その人から最後に貰った手紙がまだ捨てられない。これは何故なのか。


とはいえ。

あれよこれよ、と引越しと転校が決まり

元の学校に1年半ほどで戻るという。

ちょっと恥ずかしかったけど嬉しかったこと。

学校の近くのアパートでママと新しい人と弟と暮らすことになったけどそれもすぐに終わりました。

その人、実は既婚者で年齢も職も詐欺でママのお金や装飾品をパクりまくるというとんでもない人だったからです。やばめ。



でもこの事実も、お父さんがちょっと変だったのも

もっと後に知ったのよね。

その時のなんとも言えない感覚。

嫌悪感なのか、憎悪なのか、悲愴なのか。

お父さん像にもお母さん像にも

疑問が溢れて仕方ないまま、私は5年生になって

妹のお父さんに出会いました。


さらに続く。




ながーーーい。暗ーーーい。(›´ω`‹ )

人によってはフラッシュバック?とか

気分を害す時があるみたいだけれど、大丈夫でしょうか。

だいぶ端折ってるし、オブラートだし

これくらいなら大丈夫かな?どうだろう。


あ、そういえば私、三人弟妹でして。

7歳離れた弟と11歳離れた妹がいまして

それぞれお父さんが違うんですねー。

え、じゃあママはバツ3?

いいえ。4です。

私の元の苗字5個くらいあります

私もバツ2なので苗字がいっぱーい。

こんなわたくしではございますが、

また付き合ってもらえたら嬉しいです。

見てくださってありがとうございました!


ではではまた次回(ω)ノシ

あっくんがあっくんになった話

どうもこんばんは。

由衣子です(* •ω• )ノチャオ 



黒髪のストレートウルフが好きなので

今その髪型にしてもらおうとしてる私ですが

こうやって写真を見ると

金髪が恋しくなってしまったり



あっくんは派手髪がお好きなので

時折「染めたいなぁ」と言っております

というかこの写真、めっちゃ彼氏感。

……きゅん(♡∀♡)‪w


自分の話をすると

暗くなるので合間にイチャイチャ感を

出していきますね。(でるかな)

まずは馴れ初め、から。


あっくんは元々大好きな友達でございまして

距離感ばぐってる私は好きすぎて

ハグするわちゅーするわ

お互いが好きすぎて喧嘩するわ

挙げ句双方が同意の上なら

その当時の恋人をもし貸してくれといわれたら

全然貸せるくらい好きだよっていうくらい

大好きでした。

今思い出すと私頭おかしいなと思います‪( °꒫° )ヤベェ


その間絶賛片思い中だったあっくんは

中々思うところがあったらしく、

あっくん目線が気になるお方は

あっくんのブログの方にそのうちあがると

思うのでどうぞそちらを拝見頂けたらなと思います

(´°v°)/

https://aki-y-nyt2890.muragon.com/


とまあ、そんな大好きな友達だったあっくんは

ある日、元カノについて詳しくお話してくれました

私の当時のあだ名で同じ名前の人とお付き合いしていた事、そしてその人が今思えば一番好きで、もしまた会えたら付き合うかも?みたいな話を聞いたんよね。確か。


それを聞いた私は特に何も思わずに普通に話を聞いてたの。「不思議なご縁だねぇ」ぐらいで。

やけども、その後にどんな子やったか聞いた時

「お前みたいな感じ、似てる」

「お前みたいなのがタイプ」

とあっくんはいうたんやけども、私は

(´-`).。oO(変わった趣味してんやろなぁ

と思ってました‪w

ごめんね‪w


実はあっくんは

割と前から私のことを好きでいてくれていた様で

でも色々事情があったり、振り向いてもらえるとも思ってなかったみたいで

そんな色んな葛藤の末、開き直ってアプローチをしだした頃らしく

言われて思い浮かぶとしたら

タバコの火を私につけさせる、という事ぐらい。

ライターを持って、ではなくて

私がつけたタバコを吸う、というね。

そして私が吸うタバコはあっくんがつけてくれて、まぁ交換しとるようなね。

タバコを吸う時はずっとそうしてたのよね。

後であっくんが教えてくれたんやけども

それは意図があったらしくてね、間接的なね。

いじらしい、、!!(*´`)♡カワょ…


でもこの時も全く気づいてなくて

ん?と思ったのは

あっくんの家に遊びに行って

床に寝転んで話をしていた時。


他愛ない話をしていたら

ふと目が合って、じーっと顔を見てきたんよね


私「ん?」

あっくん「ん?」

‪私「なに?何か顔についてる?」

あっくん「いや、可愛いなと思って」

私「!?」


みたいな。

日頃から可愛いとよく言うてくれる

あっくんやねんけどもね

この時のニュアンスは何か違うかったのよ!

「え、何、なに?どしたん」ってなってる私にあっくんは「え、なんも無いけど。いつもと変わらん」っていうてたんよね。

けど内心は(うわ、やったわ)と思ってたらしい‪w


でもこの後から

やっぱりあっくんは、おかしかったよ‪。( °꒫° )


なんか開き直ったとかいうて

可愛いとか好きとかいうようになり

何となく照れるからやめろというたから

面白がってめっちゃいうてきてると思って

聞き流してたんやけども。

それからあまりにもあっくんが、


情緒不安定というか。

挙動不審というか。


会いたいよぉおお

大好きだよぉぉ

毎日通話しよぉおお


みたいなテンションは元々やったんやけど←

それにも増して変なテンションというか

ほんとに面白い事になってて


急に控えたい抑えたい、けど

無理なんやと言ってきたり(´-`).。oO(塩分?


様子がおかしいのを聞いてみると

わかってほしいけどわかるな

いやわかれ!いやわかるな!みたいな事を

言ってきたりだとか(´-`).。oO(どっち?


とまぁこんな感じでおかしいのはわかるけど

どうしたんやろ?いつもの病かな?←

って思いながら話てたらね


なんと!

この後、告白されました。

愛をぶつけられんから抑えたいというあっくんにぶつけろよ!というと、それはlikeの意味のやん?と言われ、そこで私はようやく(あ、もしかして私今告白されてるのか)と合点がいき。


ずっと好きだったという衝撃のお話にね。



…まぁ、正直びっくりした。

私個人としては、百合薔薇何でも美味しい人やし

リアルでそういう人がいても別になんも思わない。

あっくんが同性も好きになれる人だというのは知ってたけどまさか自分の事を好きになるだとか一瞬も想像したことなくてね。

けど全く嫌じゃなかったのね。

むしろ嬉しかった。状況的に付き合おとは

すぐにはなれなかったし、あっくんもそれは望んではいるけど望んでないというか

今は伝わればそれでいい、みたいな感じやったのね


だから今まで通り仲良くしよって話をしたけれども、私は正直不安やったの。

告白を断って距離が離れてしまうのは凄い嫌だと思ったのね。怖かった。


それからしばらく普通に過ごしてたけれど

あっくんがあの例の元カノとまさかの再会をしたらしくてですね。

流れでキスされたらしいんやけども

何か遊びに来てもずっとそのキスが不快で嫌な気分だと語ってたんですね。

私はといえば(じゃあ、もう忘れたら?)みたいに思いながらふーん、と話を聞いていたんやけども

まぁ、何となく面白くはなくて。


不快感を消してあげよーかみたいな

「別にええけどキスできるん?」

「出来るよ、もう何回かしてるし」←

「じゃあやってみ」

みたいなそんな売り言葉に買い言葉で

あっくんの家に遊びに行った時に

キスをぶちかました私。

そしたらね


後頭部掴まれ思いっきりディープなキッスされた。



えっと…

良かったです(*´д`*)←

私の脳内では大塚愛のChu Lipが流れました。


なんかその後はとにかくちゅーした気がする。

目が合う度ちゅーちゅーしてた。

電気消して寝よってお布団入ってキスしまくる。

多分。


んでその次の日か次々の日くらいには

また売り言葉に買い言葉の末に、致して←

付き合ってるのかなぁ、みたいな事を聞いたのか

致した衝撃であんまり覚えてないのね

この辺。それこそあっくんとこで見た方が

わかりやすいかも‪w


ただいえることは…

私、マグロではなかったらしい…。


初っ端から飛んだからわかんないよ。うん。

でも頑張ってそのうち詳細書くね。

今はとりあえず頭の中スパークリングしてた、と。

書いときます。



この後くらいから

あっくんのせフレの話や

あっくんの性についての話を聞くように

なったんやけどもね

(´-`).。oO(前から何度か聞いた気してたけど、ほんとにどちらの意味でもあんまり気にしないタイプすぎて、、申し訳な…


だからとりあえずは

あるがままにドンと来いや。みたいな

感じで言って

あっくんは今のあっくんになりました。

素を見せてくれてる、というか。

初めて彼女出来たなーとか思ってたけど

めっちゃイメージ彼氏感というか


恋愛に性別関係ないなーみたいな。

そこどうでもいいや

好きか嫌いか。

俺か俺以外か、みたいな。(ローランド)


あ、でも私、いける口かー!ってなった。

でもそこまでそこに対しては衝撃なかった。

(初夜とかのが衝撃やったし←)

好きなタイプはクレしんに出てくるオカマと

セーラームーンの天王はるか、とかやったから。

オカマさんにブスブス言われて

きゅん(*♥д♥*)てしちゃう、てなって

ママにドン引きされてたからね。

 

今にして思えばだけど、私男らしい人というか

男性体が苦手な節はちょっとありまして。

毛の感覚とか、筋肉とか、大きい人とか。

そういうのもほんとは好きじゃなかったことを

あっくんと付き合って痛感したのね。


だからそういう意味でも

あっくんはほんとに

色んなことを私に教えてくれたのでした。



さてさて。

今回はこんな感じで。

次はまた私の事、か

書けなさそうやったら別のことを書こかな

私の性癖とか?いやん。スケベ←

良かったらまた私の生態を観察しにきて下さいね

ではでは(・ω・)ノシ

私の生態 1

今日は私のこと。


ある日、母が言った

人間に産まれてくる事自体が罪で

だから産まれた瞬間赤ちゃんは泣くんだって

だから死ぬと人は許されるから楽になるんだと。


そんな妄言みたいな言葉に納得してしまうような

根暗でどうしようもない、私の

つまんない話です‪w



私は母が17歳の時に産まれました。

当時、岡山では有名だった暴走族 総長の父と

若気の至りの様な恋に落ちた私の母。

家出娘だった母にとって、私は望まれて

出来たそうで。(「私だけの家族が欲しかった」と)

この言葉は後に私の人生にも

大きな変化をもたらした訳ですが。

そんなヤンママともいえる私の母は、

顔が良かった。



え。自慢です。

自慢のお母さんです。大好き。

だけどもね、まだ若くて未熟だった為に

幼少期の私は殆ど母とは会えず

大祖母の家で育てられてました。

なので私の半分はおばあちゃん(大祖母)が育てたようなもので、育ての親ともいえるおばあちゃんと

たまに会えるママ。みたいな

小学校2年の終わりに弟が出来るまでは

そんなちょっと変わった環境で育ちました。



28年前の6月3日。

テトリスに大ハマりしてたママはほぼ毎日のように徹夜でテトリスをしていて、その日も前日からテトリスをしていて朝方まで寝ていました。

猛烈な腹痛で起き、トイレに行くとまさかの破水。

恐る恐る股の中に手を入れるとなんと私の頭に触れたらしく、急いで病院に行き、一時間程で私が爆誕しました。


何とも初っ端からママ節が出てますがそんな感じで私が産まれ、まもなくして

父とは別れたようで(絵に書いたようなパチンカスで、最後は暴力団に関わりそのまま音沙汰なし)

1歳になるまでは何故か、ママの妹とその彼氏が私の面倒を見たりだとかしていたようで。

私を実家に預けたりしながらママは大阪内を転々とし、たまに私に会いに来てくれてました。

その度に違う男の人がいてパパだと名乗るので

当時の私は金髪の人を見ると皆パパだと勘違いして声をかけまくるという、、‪w

けれど、ママは結婚を考えても良いと思える人でないと私には会わせなくなりました。

ある一人の男の人が、ごねる私をビンタして青あざを作ったり、プールで遊びだと称して浮輪を外したりしたからです。

その時のことは私は覚えてないですがママは今でも当時の私が泣きそうになりながら笑っていた事が忘れられないそうで。


3歳になって

実家の近くにママが住むことになり

その時付き合っていた彼氏が

私にとっては最初のパパでした。

水商売に勤しむママの代わりに

私の面倒をみてくれていたのを覚えています。

保育園の年長になる前にガスパンにハマって抜け出せない、という理由でその人とは別れようですが。


ある日、保育園から連絡がきたそうで。

()ちゃんがお空を見て泣いてました」と

寂しかったのかな?と思い理由を聞いたら

綺麗だったから、と言われ

(こいつ、やべぇな)とママは思ったそうです‪w

感受性が強く、妖精と話してそうなそんな電波系な私に対して、ママちょっとだけ今にして思えば過保護になりました。



更にそんな過保護に拍車をかけるように、私は生まれつき身体が弱く。

よく風邪を引いては悪化させて肺炎になったりだとか、免疫力が低いから菌類に弱くすぐ化膿したりだとかが多かったので

1人で育てるのが難しいと感じたママは

その人と別れたあと、完全に実家に私を預け、

頻度がさらに減り、月に2-3度会う程度になりました。

半年近く1度連絡が取れなくなった時もあり

その時はおばあちゃんと物凄く喧嘩になったそうです。


私はといえば、たまにしか会えないことを寂しいとよく泣いてはいてもおばあちゃん子だったのでごねること無く普通に実家に帰りママが居ない日々が当たり前だと思ってました。

その頃から私はよく「可哀想」だと

言われるようになり、私も自分のことをそう思ってました。

恥ずかしいです。


小学1年の最後、扁桃腺摘出手術をした時。

既に臨月で、その前くらいに

ママから結婚する事、一緒に住めること、

そして弟が出来たことを聞きました。

おばあちゃんがいてくれても

毎週あーちゃん(祖母)が遊びに連れてってくれても

じいちゃんが優しくても保育園が楽しくても

本当は寂しかったから、弟妹が欲しかった私としては、とても嬉しい知らせでした。

ドラマでみるような家庭が欲しかった私は

新しい生活を楽しみにしてました。

転校だけは嫌だったけれど、綺麗な家にブランドの服、ママの美味しいご飯が食べれること。

それが嬉しくて、私は心配するおばあちゃんを他所に二つ返事でママについてく事にしました。


新しくできたお父さん。

背が高くて、見た目優しそうなメガネをかけた人。

この人は今にして思えば

ちょっと変わった人でした。



とまぁ、とりあえずはここまで。

長いし面白くない話だし

どうかなーって感じ。

ここからひたすらに根暗な私を披露していくから

苦手なひとはどうかほんとに

そっとブラウザバック、してください。


書いてると心臓がドキドキして

興奮しちゃうからのんびりゆっくり書いてくけど

誰かを傷つけたりとかなんかしそうなら

途中でやめます。

自分の事で気を病むとかあまり無いと思うけど

もしあったら申し訳ないので、、

そんときは消します。

楽しい話でもないしね。

ではでは、(ω)ノシ






これは今年の誕生日にママから貰ったプレゼント。

白いフクロウは幸せの象徴らしい

オルゴール付き。

メッセージに泣きそうになった。